『一枚の海』
名城ビーチ。
幼少期を本島南部の糸満で過ごした。
海水浴に行くのは、名城ビーチだった。
入場券売場のおじさんは、灼けた顔にサングラスと麦わら帽子。
首には白いタオルを巻いている。
子供の私にはちょっと怖かったけれど、そこを通過すれば海が待っている。
砂の多い名城ビーチ。
コンクリートで作られた海水プールに、小さなメリーゴーラウンドもどき。
母が着ていた青と茶色の膝丈のワンピースを、写真のように覚えている。
国道58号線沿いの海。
黒く光る鉱物のような海を見たことがあるだろうか?
よく晴れた夜。
微風に凪いだ海には、月光の道がまっすぐに伸びる。
その路面は、宝石のカットのように冷たく硬い。
国道58号線の夜のドライブ。
車の窓から見上げる月は、どこまでも追いかけてくるし追いつけない。
砂辺海岸に車を停め、堤防に座って何時間もお喋りをした。
それぞれ好きなものを買い込んで、海に一番近いところで時間を過ごす。
バーやクラブで遊ばない日は、海でお喋りだ。
夜の空と海は、互いに漆黒に混ざり合っている。
人口の光の反射と月の道が通ったところだけが輪郭を示す。
海は鉱物のような質感と冷たさで静止している。
一緒にいる友達と目の前の海について話した記憶はない。
声にしなくとも私達はその美しさを共有していたはず。
国道、車、コンビニでの買物、カーステレオ、ドライブ用に編集されたMD、
好きな人、好きな友達、月、海、それらはセットになっていた。
海は主役ではないけれど、海じゃなければ出来なかった話は沢山あったし、
寝転んで見る夜空についての会話の方が多かった気がするけれど、それだって海にいたことが大事で、
海じゃなければ夜空を見上げることもなかったかもしれない。
読谷の都屋。
優雅な手毬のようなアダンの実が、いくつも生っている。
帰省すると子供達を必ず連れて行く、名前も無い小さなビーチ。
夕焼けが綺麗で、白い砂浜は足跡をつけるのがもったいないほど清らかだ。
子供達は何時間でも海の中で遊んでいられる。
私はそれを、一枚の絵として思い出す。
白い砂に映えるオレンジ色は太陽か、熟れたアダンの実か。
幼い頃から今まで、隣にいる人が変わっても、海はあった。
干渉もせずにいつも無条件でそこにいた。
私の海に潮騒は無い。
思い出すと浮かぶのはいつも静止画だ。
海で何をしたかというより、あの時の私がいた場所が海だった。
海は一緒にいた。
【森田恵美子】
もりた えみこ。那覇生まれ。東京都在住。
2011年~2014年、ロンドン在住時に琉球新報海外通信員。
2014年より、詩人高木敏光に師事し短歌詩歌の制作に取り組む。
2016年 歌集『音痴』。
2016年 短歌と写真のコラボレーション写真集『ずれ』。
2017年 歌集『愚行』。