子供たちを連れて百名の浜に遊びに行った。
ちょうど引き潮で、耳を澄ますと珊瑚の礫がこすれあいサラサラと音を立てている。
子供たちの声と、清らかな珊瑚が奏でる音楽を聴いていると、沖縄に伝わる古い歌謡集『おもろさうし』十三巻にある神歌(海の画像に載せたもの)に重なった。
「あきみよの泊」という場所は、気品に満ちており、琉球に広く知れ渡っている場所であると表現されている。
そのような場所で、女性たちが、神の国ニライカナイへの豊穣を祈る…という内容の歌だ。
幼い頃、父に新原ビーチに連れて行ってもらった。
新原ビーチは、グラスボートもあって、夏休みとなると、家族連れでごったがえしていた。ところが、新原ビーチの海岸線をしばらく歩くと、急に静かな浜に出る。
静寂の浜は、百名ビーチともいわれている。
砂が細かくて、はだしで踏みしめると、感触がよく、気分がよくなる。砂浜から海側へ25mくらいのところに、錆びた鉄の棒が立っていた…くらいしか特徴のない場所。
何が楽しかったのか、姉や従兄弟達と、鉄棒にしがみついては、海に飛び込むことを繰り返していいた。
百名ビーチはレジャー的な設備は整っていない。近くに冷たい湧き水もあり、体が洗えた。水量は減ったが、いまでも湧いている。
実はその百名ビーチこそ、先の「あきみよの泊」であった。浜は神話にも伝わり、「ヤハラヅカサ」という聖域。「ヤハラ」とは穏やかなという意味。「ヅカサ(ツカサ)」は、聖なる場所を意味している。神話によると、アマミキヨという琉球の創世神が、この浜から上陸し、人々に稲作を教えていくのだが、海に立っていた飛び込みの鉄棒(現在は石碑となっている)は、その目印であったのだ。
上陸後のアマミキヨは、ハマガーという泉で、涼を取る。はい、その泉が体を洗っていた場所。なんたること。知らないとはいえ、我々は聖域に遊び、神の泉で水浴びをしていたのだった。
この近くには、稲作発祥の田んぼ「受水・走水」もある。王国時代は、国王及び、神女組織の最高位、聞得大君も行幸し、一帯を祈っていた。首里城、園比屋武御嶽から始まる、聖地巡礼の旅「東御廻い」の原型となる行事だ。はい。アマミキヨも「アキサミヨー(びっくり)」な話なのだ。
沖縄では、子供は神様から送られた“童神”という考え方がある。ヤハラヅカサの石碑に無邪気に浜で遊ぶ童神たちと珊瑚の歌は、遠い昔から人々の心をとらえていたのかもしれない。
【賀数仁然】
FECオフィス所属。放送作家。ラジオパーソナリティ、琉球歴史研究家。
2009年有限会社FECにて文化事業部設立し、ツアー企画、観光ガイド業を開始。
世界遺産にまつわる琉球王国の歴史文化とエンターテイメントの融合をテーマに
琉球・沖縄の歴史文化を様々なメディアを通して発信。
RBCテレビ毎週土曜23:24「琉球サウダーヂ」構成・監修。
RBCラジオ月〜金「琉球漬け」。
FM沖縄ゴールデンアワー毎週月曜日15時「かかずのま」。
沖縄タイムス「魁!歴男塾」連載中。
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