レポート
2018.08.11

Memories of the sea vol.5 若狭

小学四年生のころ、幼なじみの家のアルバムで、幼子を抱きあげる若い父親の写真を見た。その瞬間、僕の中に不穏な気持ちが湧いた。撮影された場所は近所の海岸。ただし僕らが物心つく前の風景で、まだ生活感の薄い、区画整理がなされたばかりの荒れ地だった。ただ海との境界線となる堤防が、真っすぐ延びていた。

僕らの生まれ育った若狭市営住宅は、那覇市の若狭海岸に面していた。遠浅の岩場は緑の海藻に覆われ、多様な生物と出会えた。満潮、干潮、大潮、小潮。晴れの日、雨の日、台風と、海は様々な姿を僕らに見せ、僕らもその時々の遊び方をわきまえていた。「海は大人と行きましょう」なんて無粋なことを言う大人は皆無。せいぜい「一人で行くな」と言うくらいで、子供だけで遊びに行くのが普通だった。

大人はいないが近所の兄ちゃんたちがいた。とは言っても、年の差は1~2歳。それでも人生の先輩たちは、海の岩場を安全に登る方法や、海苔で滑るコンクリートの上をどうやって歩けば安全か、はては危険生物についての知識など、生きる(遊ぶ)ために必要な知識を授けてくれた。知識を持つ者は尊敬されたし、学んだ知識をまちがいなく役立てることは誇らしいことだった。知識の向こうには謎があり、それを説明できる知識を、誰よりも先に仕入れることは喜びだった。海と触れることは、豊かな知識と神秘の入口に立つことなのだ。

小学四年生のころから、その海が少しずつ埋め立てられていった。遊び場だった浅瀬は消え、海岸線は沖にせり出していく。結果、堤防のすぐ外側は深くなり、子供たちは遊び場を失った。人口ビーチは砂と安全柵に去勢され、文字通り底の浅い娯楽でしかなかった。僕は子供ながらに「埋め立て」と言う人類の無知を呪った。

そんなときにあの写真を見たのだ。そこに映っていた風景は、僕らが生活した土地もまた埋め立て地だという現実だった。つまり埋め立てを呪う僕もまた、海に対する加害者なのだという自己矛盾を、小学生の僕にその写真は突きつけてきた。

海と人はどう付き合っていくべきか。矛盾の答えは50歳を過ぎた今も出ていない。これはもう、あの埋められて消えた海が、最後の最後に、僕に投げかけた宿題なのだ。

【真喜屋 力】

まきや つとむ。沖縄生まれ。映画監督、脚本家。
1992年 映画『パイナップルツアーズ』で監督デビュー。
1994年 映画『パイパティローマ』脚本。
2004年 テレビアニメ『アークエーとガッチンポー』監督。
2005年 映画『チェルシーの逆襲』監督。
2005年桜坂劇場立ち上げスタッフとして勤務し、2011年5月以降フリーで活動。
2016年 映画『神人(カミンチュ)ザンの末裔』原案。

真喜屋力

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